永青文庫「信長からの手紙」展(もちゃち)

2015-03-14

目白付近にある、永青文庫で信長からの手紙展をやっていたので、急遽今日行ってきました。永青文庫とは、熊本藩の藩主だった細川家の第16代護立公が細川家の資料が散逸しないようにと作られたもののようです。今は博物館になっています。理事長が熊本知事から総理大臣になり、先の東京都知事選に出馬された細川護熙さんです。初代の細川藤孝公は、僕の大好きな武将で、僕は丹羽長秀と共に細川藤孝公がとても好きです(要は、織田信長を本当に大切に思っていた人が好きなのです)。明智光秀の娘(細川ガラシャ)を自分の息子忠興の嫁として迎えていたので、明智光秀は当然細川藤孝を当てにしていたのですが、細川藤孝親子は、断固として明智側には付きませんでした。熊本藩は幕末に横井小楠を輩出し、徳富蘇峰がその弟子の長男となります。今日は、学芸員の方のミュージアムトークがあるという事で、2時に間に合うように永青文庫に行きました。いつも急で済みません。この特別展は明日までです。テレビのバラエティ番組で紹介された(くりーむしちゅーの)との事で、人が沢山いました。
細川藤孝ですが、有名な細川家の一員なのですが、庶流との事です。細川家自体は足利家の姻戚で管領を務めるとても位の高い家柄です。応仁の乱の細川勝元の名前を知っている方も結構いらっしゃるのではと思います。細川藤孝は、この細川家の庶流です。細川藤孝は、最初は足利義昭の家臣として働き、織田信長と足利義昭が対立した時に織田信長について信頼を得たとの事です。信長公の手紙を見ると、信長公は最後まで足利義昭公を立てようとしていた事が判ります。足利義昭の条件を全て飲んで幕府を盛り立てようとしていました。僕は織田信長は足利を潰すつもりもある程度はあったと思っていたのですが、どうも違うようで最後まで幕府を盛り立てようとしていたのに、足利義昭が武田信玄が信長に反旗を翻したのを良い事に、完全に敵対したので、信長は仕方なく室町幕府を潰したようです。足利義昭が将軍として京都に返り咲いたのも完全に織田信長のおかげなのに足利義昭は、その恩を踏みにじりました。足利義昭は、自分がとにかく色々命令したかったのでしょう。自分の為に。それに対して織田信長は違います。織田信長は皆の為に命令するのです。僕が一番好きなエピソードに、信長が戦争に行く時に農民が田んぼで寝ていた時のエピソードがあります。家臣は、我々が戦争に行くのに、こんなところで寝ていて、今すぐ手打ちにしましょうと言った時に、信長は、わしは農民がこういう風に安心して寝ていられるようにする為に戦争をするのだというような事を言ったそうです。僕は、ここに信長の性格が一番現れていると思っています。細川藤孝は、足利義昭の為に色々尽くした信長に感謝しない義昭を許せなかったのだと思います。細川家は本能寺の変の後、長い間織田信長の供養をし続けたとの事です。細川藤孝は、本能寺の変の後は豊臣秀吉、関ヶ原の戦いでは徳川家康と、常に的確にこれから発展する主君を見定めていました。そして細川家は熊本藩を幕末まで存続させ、更には総理大臣まで輩出しました。先にも述べましたが、熊本は横井小楠、徳富蘇峰を輩出しています。細川護熙さんが総理大臣の時、滋賀(そういえば井伊直弼も滋賀ですね)の武村と小沢一郎さんに支えられ、良い顔ばかりする武村と泥を被る小沢一郎を見て、結局小沢一郎さんを信頼しました。僕には、小沢一郎さんと織田信長がだぶって見えてしようがありません。
話があちこちに脱線しましたが、織田信長の手紙、見て損はないと思います。一つ書くのを忘れていましたが、本能寺の変の直前まで、織田信長は細川藤孝への手紙に、明智光秀と相談して決めるようにと細川藤孝の上司の明智光秀を立てていましたし、信頼もしていました。そんな信長を光秀は襲ったのです。細川藤孝が明智光秀につく筈がありません。まあ明智光秀も僕の最近の見解では「身内離間」の計にまんまと引っ掛かった被害者と言えるので、可哀想な面もあるのですが。そうそうもう一つ書くのを忘れていました。織田信長は武田信玄とも戦争したいと思っていませんでした。そして色々礼を尽くしていました。それが結局裏切ったのです。僕は、武田家に対する信長の仕打ちが酷すぎる、それに対して家康のやり方は上手いと思っていたのですが、この時の恨みがあまりにも大きかったので武田家に酷い仕打ちをしたようです。信長がそれこそ全く手の回らない大変な時に裏切られたという事で酷い恨みになったようです。しかし、この仕打ちはまずかったと思います。家康のように武田家の家臣に温情を与えるべきでした。武田信玄ではないですが、人は石垣、人は城(誤解しやすいのですが、人こそ大事という意味だそうです)、情けは味方、仇は敵。この仇を信長がやって、情けを家康がやりました。武田の家臣団が家康に吸収されて、家康は大分強くなりました。
今回、長いレポートのような僕の想いを書いたようなものになってしまいました。

(追記)自分の思いを入れすぎて、一つ忘れていました。信長公からの手紙で現存している数がもっとも多いのが細川家だそうです。だんとつに多いそうです。これは、信長公を大切に思っていたのと、柴田勝家のように滅ぼされなかった影響のようです。3代目の方が信長公の手紙を本家に集めて返さなかったのが原因だそうです。

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